(2015年12月27日)

■「力には力を」はえせリアリズム
  「敵は国内にいる」――中国脅威論に対して日中の民衆の連帯を対置しよう


戦争法反対の駅頭活動をしていると、「中国はどうする?」と聞いてくる人がいる。戦争法を採決されてしまった根本原因は、結局はここにある。安倍晋三の最大の拠り所は、彼自身が意識的に煽ってきた中国脅威論だ。

中国脅威論の本質は、「力には力を」の論理だ。中国の強大化と軍拡推進は事実である。しかしその軍拡の動機は、先発の経済軍事大国である米国そして日本に対抗して、新興の大国としての権益を追求し拡大しようというものであり、日本や米国は紳士的で中国が乱暴者というわけではない。中国は遅れて国民経済発展を成し遂げ、ようやく日本を追い越し、米国にも迫ろうという段階まできたのだが、既得権益を守ろうとする米国や日本が牽制を加えている構図だ。日本の支配層の中でも安倍晋三はとりわけ、中国への対抗心が旺盛で、劣等感とも優越意識ともつかぬ立場から、反中国の政策を推し進めてきた。中国の経済軍事大国としてのめざましい台頭に対して、日本自身も更なる軍拡を、米国との軍事同盟の強化を、そして戦争が出来る国内体制づくりを、と突っ走っている。

この悪循環にどう対抗し、この構図をどう崩していくべ...きなのか。戦争法を使わせず、廃止に追い込んでいくための市民の闘いは、このことへの答えを持たない限りとうてい勝ち目は無い。

「力には力を」の論理の背景には、利権や権益をめぐる争いがある。資源や商品市場や金融覇権、そして何よりも民衆への支配力を、どの国の支配層が手中に収めるかという利害争奪があり、それを確実なものにするため外交覇権、軍事覇権が追求されている。かつてなら列強の独占資本による市場分割・再分割・ブロック化の闘争をいうことだが、現在はかつてとは比較にならないほど高度に発展した生産力の故に、世界市場をどの国の支配層が一手におさめるか、ないしは主導しつつ牛耳るかの争いとなっている。中国は米国に対して、太平洋を、そして世界を中・米の2国で別け合おう、分割支配しようと持ちかけているが、米国支配層は「10年(30年)早いわ!」と拒絶し、米国の専一支配にこだわり、日本などを従えてそれを追求している。そこから、中・日・米の間の外交上、軍事上のあらゆる問題が発生している。

では、「力には力を」ではない、他の解決法はあるのか。それは、ある。あるだけでなく、これこそが、「力には力を」のえせリアリズムに対する本当のリアリズムに立った方途だ。

それは第1に、日本や米国や中国のそれぞれの国内において、働く者や市民が政治への影響力を強め、自国の覇権主義的外交・軍拡政策を押さえつけ、発動させない力を大きく形成していくことだ。それぞれの国の民衆が、敵は海の向こうではなく「国内にいる」ことをしっかりと理解して、自国の支配層に対する牽制力と規制力を高めていくことだ。この闘いは、当然に諸国のとりわけ日本と中国の民衆の連帯と共同の追求、そしてそれに基づく闘いにならざるを得ない。日中の民衆は相互の連帯を切実に求めており、その試みはすでに開始されている。

第2には、それぞれの国の民衆が、それぞれの国の社会経済の仕組みを変えていく闘いを発展させることだ。それは、各国において、利潤のための経済活動と、その活動を後押ししている既成政治を後退させ、人々の福祉と生活の向上のための新たな経済活動と、それを創りだしていくための新しい政治の力を発展させていくことだ。これは、中長期の展望に立つ闘いだが、しかしこれがあればこそ、当面の、目の前の闘いの意味も正しく理解され、背骨の入った力強いものとなり得る。

こうした闘いの前進が実現されないならば、この利潤動機の経済システムはますます矛盾と混乱を深め、人々に対する災厄の大きな震源となっていかざるを得ない。資本の強欲は、格差と貧困を耐えがたいまでに深刻化させ、利権や権益をめぐる争いは破壊と殺戮を繰り返し発生させ、自然環境の破壊は不可逆的な段階にまで達しようとしている。これらは、ヒトが本来持って生まれた、社会の一員として調和と友好を愛し、人の役に立つことを尊び、自然の懐に抱かれることで健康に過ごし、その中でこそ幸福を感じるという本性と端的に対立するものだ。この対立の程度が、かくも著しく高まり、飽和点に達してしまった以上、私たちは社会変革の闘いを前進させることに、生き残りの道を求めるというリアリズムに立つしかない。


(2015年11月29日)

■深刻化する子どもの貧困
 貧困の温床=雇用の劣化を生み出す大企業の貪欲に反撃を

 子どもの貧困の問題が、メディアでも頻繁に取り上げられるようになった。日本の子どもの貧困率は 16・3%で6人に1人。OECD・経済協力開発機構加盟国の35カ国中で悪い方から9番目。中でも1人親世帯の貧困率は54・6%に達し、OECD中で最悪だ。しかも日本の貧困ラインは年々下がり、2012年で年収122万円。日本の貧困の深刻さを示すこれらの数字は、多くの人々の意識にものぼるほどになった。..

 こうした数字の背後には、学用品など学校生活に必要なものを買えない子ども、病気になっても病院にかかれない子ども、それどころか日々の食事にも事欠く生身の子どもたちの窮状が存在する。そうした子どもたちは、学校から疎外され、地域の中でも孤立し、さらに崩壊する家庭の中でどこにも行き場のない状況に追い込まれ、中には虐待などで本当に命を失う子どもたちも多数発生するようになってしまった。

 貧困に捕らえられた子どもたちは昔からいた。しかしその貧困率の上昇が顕著に見られるようになったのは、日本で新自由主義と呼ばれる政治経済潮流が力を持ち始めた1980年代からだ。そして今では、日本は先進資本主義諸国の中でも最悪の貧困国のひとつになってしまった。つまり、中曽根政権、小泉政権、二次にわたる安倍政権という露骨な資本家的政権の下で、日本の子どもたちは、衣食住という人として最低限の欲求さえ満たせないような劣悪な状況の下に追いやられようとしているのだ。

 新自由主義とは、言うまでもなく、経済のあり方を市場の論理、むき出しの資本の論理の下に差し出せという要求だ。社会保障は、資本の最大限利潤の追求の犠牲に供せよ。社会福祉は企業の利潤追求活動にとって邪魔にならない程度に切り縮めよ。労働者の生活は労働力再生産のために必要な最低限ぎりぎりにまで引き下げよ。

 更に、資本のグローバル競争に勝ち抜けとのかけ声がかまびすしい。資本にとって、商品を売り込む市場を主に海外で確保することが可能なのであれば、自国の労働者に商品を買ってもらう必要は無い。資本の生産活動に必要な労働力が主に海外で調達可能であれば、国内の労働力は再生産の面倒を見る必要は薄れる。だから労働者にまともな家庭は必要ない、路上の片隅があれば良い、ということにさえなってしまう。資本のこうした要求が、派遣労働を拡大し、無権利と低賃金の労働者を大量に発生させてきた。事実、多くの若者は家庭を築くことが出来ず、既婚世帯も崩壊に危機にさらされ、最も不利な立場に置かれた人々は実際に路上に掃き出されている。

 資本主義の成熟と爛熟は、資本の利潤率の低下を必然的にもたらす(水野和夫はこの事実を下手くそなやり方ながら改めて実証的に示した)。かつての英国病、欧州諸国の経済停滞、日本の低成長はその現れだ。やがては中国もその後を追うだろう。資本は、利潤率の低下を、金融術策・マネーゲームで挽回しようとしたがそれで実体経済自体が回復することはあり得ない。そして他国から金融収奪するばかりか、株や債権への投資をそそのかして国内の小金持ちからも収奪することで、富の格差を更に拡大した。更には、為替や株価の乱高下、バブルとその破裂など、経済に極端な波乱を生み出し、格差の拡大を更に深めた。

 マネーゲームだけでは足らないと、これまで資本が避けてきた公共政策の分野にまで、規制緩和・民間活力導入を叫んで割り込んできた。しかし元々利潤を期待できないからこそ資本は手を出さず、政府にゆだねてきた領域だから、うまく行くはずがない。そしてそこでも、資本として成り立つだけの利潤を上げるためには、働く者へのさらなる徹底した搾取に走らざるを得ず、事実、公共サービスの委託、介護や保育等々の分野では、食えない、暮らせない賃金の押しつけがまかり通ることになってしまった。

 無権利で低賃金の派遣労働の一層の拡大、労基法の改悪や解雇規制の緩和などの働く者に過酷な現在の雇用政策は、まさにそうした資本の要求の顕現だ。そしてこうした雇用政策、その背後にある労働者に対する資本の歯止め無い搾取欲こそ、格差と貧困の拡大を深刻化させ、最も弱い立場に置かれる子どもたちに、衣食住にさえ事欠く状況を強いている元凶だ。

 安倍晋三が唱える「一億総活躍社会」などはデマゴギーとインチキの最たるものだ。来年夏の国政選挙で票を掠めようというペテンに過ぎない。私たちは、子どもたちの健康と命を守るためにも、そしてその未来を保障するためにも、資本の貪欲な搾取を跳ね返し、資本との真剣な闘いに挑まなければならない。

(2015年11月17日)

■中東泥沼化の深層
 多国籍資本の論理と部族社会の支配をもくろむイスラム復古主義との激突


G20が「テロとの戦い」を宣言した。その言やよし。
ならばまずは、フランスを含む、米軍を先頭にした多国籍軍や有志連合軍が、この間イラクやアフガンで繰り広げてきた、ISも赤面するような大規模で残忍なテロ行為を総括し、その責任者を処罰してもらおう。そして、欧米諸国のテロによって命と生活を奪われた人々に対して謝罪をしてもらい、生活再建に責任を負ってもらおう。もちろん日本にもその責任の一端をになってもらう必要がある。

ところが、彼らがやろうとしていることは、真逆だ。イラク戦争、アフガン戦争等々の中で繰り返してきた、軍事力を前面に出しての殲滅・掃討の再演だ。これで問題が解決すると考えている愚かさ、幼稚さが恐ろしい。

今中東で起きていることの本質は、多国籍資本の論理と部族社会・中東の民衆世界の論理との激突だ。
多国籍資本は、その巨大な生産力のはけ口を求めて、市場のグローバル化を追求している。かつてのようなブロック市場ではなく、地球全体を資本の市場に転化しようという衝動であり、そのための障害はどんな手段を使っても除去しようとする。

多国籍資本によるグローバル市場化の障害物とされたひとつが、中東の部族社会、その上に乗っかった権威主義体制などだ。血縁地縁を主な紐帯とする部族社会は、そのままではかつての資本の力にも、今のように巨大化した多国籍資本の力にはなおさら、立ち向かう力は持たない。だからこそ、アラブ民族主義、「社会主義」=国家資本主義、イスラム主義等々がそれを束ねようとしたが、次々と限界を露わにせざるを得なかった。そして登場したのが、欧米諸国とりわけアメリカが実演してくれた軍事力行使を前面に出した、野蛮と暴虐の破壊活動から学び、その手法を自らも採用し、それを極度に復古化させたイスラム主義でイデオロギー的に粉飾したISの勢力だ。

ISは、米軍によって掃討されたフセイン体制下のイラクの官僚や軍人をかき集めて国家もどきをつくろうとしているが、イラク国家自身が米軍に敗れたように、それだけでは多国籍資本の圧倒的な力には対抗できない。彼らの支配もまた、何らかの根っこによって支えられなければ、砂上の楼閣だ。それを支える土壌として、ISが利用しているのが、中東に今も根強く息づいている部族社会であり、その紐帯だ。

中東の部族的紐帯は、それを利用し、支配する勢力が次々と入れ替わる中、今も生きながらえ、その生命力を維持し続けている。部族社会の側も、そこで暮らす普通の人々が、突然やってきた欧米の軍隊に彼らのルールを嘲笑され、蹂躙され、生活の基盤を暴力で壊され、大量殺戮の憂き目に合い続ける以上は、この圧倒的な力に抗い自らを守る必要がある。だから、ISの不合理で恐怖支配を用いたやり方にも、従わざるを得ない。その意味では、ISは、部族社会の限界の上に乗っかった二次的構成物、モンスター化した二次的構築物と言える。

現在の中東と世界で起きている暴力、人権破壊、恐怖支配を打ち破っていくために、私たちがまずなさねばならないことは、欧米諸国や日本が行っている軍事的な対応を批判し、抗議し、それをやめさせることだ。それはISを利することだとの理屈は、中東の現実を見ない議論であり、自らの行為が生み出した現実から何も学ばない愚か者の言葉だ。

欧米や日本の市民は、多国籍資本の横暴と強欲を規制し、それを押さえつけるための行動を起こし、その力を強化し、自らの社会編成を変えていかなければならない。中東の人々が自らの置かれている状況を自身の力で変えていく可能性を広げるためにも、このことは不可欠だ。中東の人々は、欧米諸国から仕掛けられる理不尽な戦争、強欲な経済的収奪が抑制され、無くされていくならば、自分たち自身の力で社会を再建し、発展させ、変容させていく事が出来る。中東・アラブの民衆世界、部族社会は、IS等に服従しつつ支えるという屈辱的な役割とは異なった別の新しい可能性を、必ずや見つけ出していくに違いない。

資本主義的発展の極地にまで上り詰め、その腐敗と不朽を深める欧米諸国や日本の社会。狭い部族的紐帯の限界故に欧米諸国やISに蹂躙される中東の民衆世界。そのどちらも、自らの社会を変革できる可能性を持っている。願わくば、遠くからでもかまわない、双方の連帯の力で、多国籍資本の独裁とIS等の専横を牽制し、力を蓄え、それを打ち破っていこう。
(2015年11月15日)

■欧米の中東支配、イラクやアフガン戦争を容認する者にISを非難する資格無

パリで起こされた虐殺に、驚愕する。
こんなにも人の命と人生を軽視しきった蛮行に、憤りを禁じ得ない。
虫けらのように人を殺す非道は、絶対に許してはならない。
恐怖心を煽ることで政治目的を達成しようとする愚行は、必ずや自らにも跳ね返ってくることを思い知らなければならない。

しかし、パリの犠牲者を悼み、テロを非難する人々は、そしてメディアは、イラクで無辜の市民を多く含む50万人もの人々が殺されたとき、それをどれだけ悲しんだか。
学校や病院や結婚式の会場までが空爆を受けて、多くの子どもや女性や男性が肉団子になって飛び散った時、それをどこまで心底の怒りを込めて「非道だ!」と非難したか。
ファルージャで、多国籍軍と米軍により女性や子どもを含む数千名の無辜の市民が虐殺され、その遺体が戦車や装甲車で踏みつぶされ、ミートフックに引っかけられて引きずり回され、犬が喰らうに任されていたとき、欧米のメディアはそれをきちんと伝えようとしたか、市民はそれを非難したか。

人の命が、先進諸国民と中東やムスリムの人たちとで、全く異なった扱いを受けている。
先進諸国の市民が殺されると、「非道だ」「今こそ心を一つに」「我々は屈しない」と人々は叫ぶ。
東京タワーのイルミネーションまでが変えられる。
しかし、イラクやアフガンやパレスチナ等々の人々がどんなに非道で残虐な仕打ちを受け続けていても、先進諸国では「心を一つに」の大合唱は起きない。
中東での虐殺はきちんとは報道されず、報道しないメディアを市民は「非道だ」と非難しない。

命の価値に対するこんな差別が容認され、放置されている限り、先進諸国の経済的収奪や軍事力によって生活と命を奪われた人々の心を癒やすことは出来ない。
彼らの憎悪と報復心を一層激しくかき立てるだけに終わる。
そして、満腹し、飾り立てられた先進諸国の都市のど真ん中で、悲劇が起きることは避けられない。

先進資本主義諸国の市民の命や生活、その尊厳と、それ以外の諸国、地域の人々の命や生活は同等に尊重されなければならないことこそを、強く強く、肝に銘じ、訴えることから始めるべきだ。
(2015年11月15日)

■オリンピックと優生思想
強者を賛美し弱者を排除する政治に手を貸すだけならば、オリンピックなどいらない!


 「より速く、より強く、より高く」。ピエール・ド・クーベルタンが唱えた近代オリンピックのモットーだ。今日では、他者と比べてでなくその人自身の内的な基準からの到達度を意味していると、読み替えることもできなくはない。しかし彼がこの言葉を発したときには、明確に他者と比較しての競争的意味で用いられた。

 この時代には、だからオリンピックに優生思想が忍び込んだ。人間を優れた者とそうでない者とに分け、科学の扮装をまといつつ、前者を繁栄させ後者を抹殺しようとした優生思想だ。それが影を落としたのがナチスドイツの下でのベルリンオリンピックであり、そこではアーリア人種とドイツ民族の優秀さの誇示が隠されたテーマだった。

 その後もオリンピックの中では「より速く、より強く…」が賞揚され続けた。有名選手が好成績を残せるかどうかは先天的素質で決まる≠ニ公言したり、メダリストのDNAが賞賛されたり、人を先天的な特質で評価・賛美する風潮は続いている。

 パラリンピックも開催されている、と言う人もいるかもしれない。パラリンピックは、優生思想につけ入る隙を見せてきたオリンピックに対し、歯止めや異議申し立てとなる可能性を持っていないとは言えない。だが、今のところ、可能性にとどまっている。パラリンピックは、それが自らの土台だと言うアダプディッド・スポーツの理念に沿っているかどうかについても、疑問の声が上げられている。

アダプティッド・スポーツは、スポーツの世界におけるノーマライゼイションと言われる。用具やルールや社会環境を障がい者などにアダプト(適合)させることで、障がい者のみならず初心者や高齢者なども健康や体力を維持・増進し、人生の豊かさを実現することを可能にしようというのだ。ツーバウンドで打つテニス、視覚障がい者と晴眼者がペアになったマラソン等々は、今ではよく知られている。

パラリンピックには、このアダプティッドスポーツに関わる人々からも、批判的な問題提起がなされている。例えば、パラリンピックの理念は高いレベルの競技機会の提供、身体的・道徳的な資質の向上≠ニされ、ごく一部の選手が脚光を浴びる一方、多くの障がい者が参加する非競技的なスポーツが脇に追いやられている。狭い体育論や実技の向上に関心が注がれ過ぎている。オリンピックとパラリンピックに分けること自体が、五輪の建前である人間の平等の精神と矛盾している。パラリンピックの報道写真は、障害に打ち勝とうとする強い男性像、華やかだが弱々しさをイメージさせる女性競技者像に偏っているとの研究者の分析も提出されている。

これらの疑問の声は、東京五輪が国民の暮らしに背を向けて、ナショナリズムを煽り戦争する国づくりを進める稀代の右派首相の下で進められていることを見れば、リアリティを持つ警告と見ることもできる。オリンピック賛美とともに強調される「福島復興」は、原発事故の被害を隠蔽するとともに、復興に協力しない者への冷遇と排除を露骨に示している。強い者=復活した原子力村の勢力や地元の政治・経済的ボスたちによる、弱者=被ばく住民や恭順せぬ人々へのあからさまな差別と排除の強権政治を隠し、美化し、それへの支持を取り付けようとしている。この国では、大がかりな国際行事の度に、精神障がい者を治安対策の対象と見なす差別行政が公然・隠然に行われてきたことも忘れるわけにはいかない。

強者・勝利者を賛美し、「弱者」を排除し、間違った国策を隠し、市民に抑圧と窮乏を強いる政治に手を貸すだけならば、オリンピックなどいらない!
                       流山市議 阿部治正
(月刊誌『たんぽぽ』11月号の原稿に若干の加筆を行いました)
(2015年11月4日)

■働く者の一層の無権利化、徹底した搾取強化に向かうアベノミクス第2ステージ

 アベノミクスは第2ステージに入ったと言われ、一億総活躍社会、GDP600兆円、出生率1・8、待機児童ゼロ、介護離職ゼロなどが打ち出されている。しかし、こうした目標を真面目に受け止める向きは少ない。肝心の財界の中からも疑問視する声が公然と上がっている。

もちろん、支配層は、安倍首相の掲げるスローガンが現実的なものでないことは承知の上で、これを支持している。というのは、彼らの狙いは、このスローガンでしばらくの間国民の歓心を買い、政権への支持を回復し、その延命を図ることに置かれているからだ。そして政権延命の第一の狙いは、何と言っても憲法の明文改憲だ。そしもちろん社会保障や福祉の切縮め、雇用のルールの一層の改悪も目指されているだろう。

特に、アベノミクスの労働者への搾取強化の側面を、かなりあけすけに、正直に代弁したのが、昨日(10月8日)の『日経』紙の「大機小機」の欄だ。

記事は、GDP600兆円の実現は「かなり野心的な目標だ」と少し斜に構え、次のように言う。「経済成長の要因は、資本・労働とこれらの配分効率である。資本を増やす投資は、その期待成長率に依存する。結局、人的資源をどこまで有効活用するかが、経済成長のカギとなる」。つまり、GDP600兆円はかなり難しい話だ、そのためには企業の投資意欲を高める条件を生み出さねばならない、それを可能にするためには労働の生産性を向上させる必要があると言いたいのである。

次に記事は次のように書く。「子育て期に大きく低下する高学歴女性の就業率や高年齢者の熟練労働を失う定年制は、労働力減少社会では許されない貴重な人材の無駄遣いである」。つまり、企業の中で訓練を受けてきて高い能力を有している高齢者や女性を簡単に社外に放り出すのではなく、労働力として活用することが肝要だと言うのである。

そして、ここからがコラム氏の真骨頂なのだが、女性や高齢者を労働力として有効活用するうえで障害となっているのが、まさに日本の雇用ルールだとして、その規制緩和を主張する。具体的には解雇をより行いやすくする、解雇の金銭解決などを認めることが重要だと説くのである。そして、大企業労働者は労働組合に守られているなどと言い、解雇の金銭解決を「『金さえ払えば解雇自由』という批判は、十分な補償もなしに解雇される中小企業の労働者を無視するものである」などと、一体だれを慮ってか分からない、お定まりの主張を展開するのである。

企業の利潤率が下がり続けている中では新たな投資の動機は生まれにくいという指摘は、資本の本性を踏まえた至言だ。そして企業に投資の動機を生み出させるためには生産性の向上が必要だというのもその通りだ。すでに企業の中で一定の訓練を受けてきた高齢者や女性を簡単に手放すのではなく大いに活用しなければならないというのも、生産性の向上、利潤率の改善の方策としてあながち見当違いとは言えないだろう。もちろん、筆者がそのための具体的方策として提案するのが、解雇の容易化、金銭解決ルールの活用だという点は、高齢者・女性の活用が必要だとの論との結び付け方においても、かなり強引であり、アクロバティックに過ぎると言わねばならないが。

もちろん、解雇の自由化が、資本の論理を前提にすれば利潤率の改善、期待成長率の改善に大いに資するというのはその通りであり、その意味ではコラムの筆者は企業の本性やその渇望に忠実に従っている。筆者は、非常に回りくどい言い方ではあるが、生産性の向上、利潤率の回復、そのためには労働者をさらに無権利化させ、徹底的に絞り取らなければならない、さらなる搾取強化を行わなければならないと、大企業の本音を語ったのである。

アベノミクス第二ステージも、だらしのない金融大緩和、無節操な財政大盤振る舞い、そして何よりも企業競争力の強化と称しての、労働者に対する搾取強化の政策に訴えるのであり、結局はそこに帰着する以外にないのである。

団結して闘わなければ、労働者と国民の暮らしはますます追い詰められていく。
(2015年10月9日)

■敵は安倍晋三らの右翼政治勢力、バックにいる強大な米国の軍産複合体、日本の財界の主流と狡猾な官僚群

戦争法が強行採決された19日、そして20日、21日と続けて、おおたかの森駅で「強行採決無効」「戦争法を使わせない」と訴えてアピール行動を行っています。本日も、16時30分から同場所での活動を行います。このFBを見た皆さんも、ぜひご参加を。

憲法違反であり、実際に海外での武力行使、戦争に道を開くこの法律は、国民の反対の声があろうがなかろうが、制定することは許されない法律でした。ところが安倍政権は強行した。

その背景には、様々な動機があるでしょう。米国からの強い要求と米国の世界戦略への安易な依存体質。日本の支配層自身の大国への成り上がり願望と軍事強国化への衝動(外務官僚と新軍部がその急先鋒)。軍需産業の安定的なビジネスチャンスの拡大要求。安倍晋三らに代表される右翼政治勢力の民主主義への毛嫌いと国民への統制支配の欲求とアジア蔑視と歪んだ優越意識、等々。

強行採決の後も、反対行動に立ち上がった市民は意気軒昂であり、この行動は容易には鎮静化しないでしょう。今回の市民の行動の盛り上がりは、今後の日本社会の大きな地殻変動の初動になる可能性を秘めています。

しかし、敵は安倍晋三らの右翼政治勢力だけでなく、そのバックには強大な力を持った米国の軍産複合体、そして日本の財界の主流が鎮座し、彼らの意を受けた狡猾な官僚群がいます。数年前の民主党政権が、「生活が第一」「コンクリートから人へ」「普天間は最低でも県外移設」等々を掲げながら、いとも簡単に「人からコンクリートへ」「辺野古新基地建設容認」「原発再稼働」へと腰砕けになってしまったのは、この強大な敵への認識が決定的に欠けていたからでした。こうした敵と対峙し、これをねじ伏せていく覚悟と戦略を全く持っていなかったからでした。そして何よりも、日本の民衆が持つ優れた知恵、巨大な潜在力を信じることが出来ず、また議会外の多くの優れた専門家、活動家の力を活かすことが出来ず、自らの乏しい政治経験と貧しい知恵だけで事態に臨んだからでした。

だから私たちは、「賛成議員は全員落選」「野党は頑張れ」は前提としても、さらにその野党の腰砕けやふらつきや方向音痴を矯正していく力を持つ必要があります。もっぱら議会内野党に課題解決をゆだね、期待するのではなく、私たち日本の民衆自身が、政治の真の主役としてさらに成長をしていく必要があるし、そのような力量を必死で獲得していく必要があります。そのような民衆の闘いに寄り添い、ともに力を合わせて事態を切り開いていこうとする政治勢力を、さらに強く、大きく育てていく必要があります。そうしてこそ、今起こり始めた地殻変動を、さらに確実なものにしていくことが出来るでしょう。
(2015年9月22日)

■日中の民衆の連帯した行動で両国の支配層のナショナリズムと領土要求を牽制し、打ち破ろう

私は、今後重要となる活動は、日中の民衆同士の交流・友誼・連帯・共同・共闘だと考えています。

日本の支配層=日本版軍産複合体が、戦争体制づくりの口実にしたのは、結局は中国脅威論でした。彼らの最大のよりどころが、中国脅威論であり、これはかなり霊験あらたかでした。中国が危ない、怖いと言えば、戦争法案でも、防衛予算増額でも、そのしわ寄せによる社会保障の切り詰めでも、何でもごり押しできると彼らは考えています。国民が、今の体制への不満や批判を唱えても、国民の団結を危うくするつもりかと、押さえつけることも可能です。政権への批判を押さえつけ、求心力を強めることが極めて簡単、お手軽に出来るのです。

現実の軍事外交政策としては、「中国を押さえつける」効果は全くなく、逆に中国に更なる軍拡の動機を提供し、アジアと世界の危機を高めるだけなのですが、日本の民衆に対する目くらまし効果は絶大です。

私たち日本の民衆は、まずは自国の政府の反国民的政策、自国民ばかりでなく他国の民衆への脅威にもなる日本の軍拡・戦争政策に反対して闘いましょう。自国政府のナショナリズム扇動や戦争体制づくり、戦争法の発動を押さえ、それを打ち破る大きな運動を組織していきましょう。恥ずべき植民地支配と愚かな世界制覇熱に浮かされて行った戦争の反省の上に立ち、戦争放棄・軍隊放棄の憲法を勝ち取った世界に他例なし、歴史上希有な存在でもある日本の民衆です。その潜在力が、戦争法案反対の闘いの中で見事に発揮されました。

中国の民衆も、実は中国支配層に利用され、踊らされているだけではありません。中国の民衆は、彼らの、長く、複雑で、困難な歴史をくぐり抜ける中で、おそらく日本の私たちよりも思慮深く、賢明で、機知に長けた人々であるはずです。自国の支配層の腐敗や、専横や、すでに役割を終えた愛国主義宣伝や、民衆抑圧に辟易し、静かに牙を研いでいます。時には騒々しく闘いに打って出てもいます。世界の中での中国経済の存在感の大きさや中国民衆の巨大な人口から見ても、今後の世界の歴史の動向を決する最大の力のひとつとなっていくはずです。

日本と中国の民衆が手をつなげば、何も恐れるものはなくなります。それぞれの国民が自国政府のナショナリズム扇動や軍拡や民衆抑圧に対する闘いを発展させ、その中での連帯と共同を進めていくことが必要です。そのための活動に、様々な部署、それぞれの領域で、あらゆる戦線で、意識的な取り組みを組織していきましょう。やがては「敵は国内にいる」が日中双方の民衆の合い言葉になる日が来るに違いありません。
(2015年9月19日)

■「戦争法案」は国民に対する支配層からの戦争準備だ!


戦争法案は「憲法違反だから」反対だという声が高まっている。戦争法案に反対すべき大きな、正当な理由のひとつと言っていい。しかし私は、これが、決定的な、最大の理由だというつもりは全然ない。

そればかりか、憲法違反だからと言う理由だけに頼っている限り、戦争法案反対の闘いは本当に力強いもの、長続きするものにはなりえない。と言うことは結局、戦争体制づくりに奔走する勢力に、勝つことは出来ない。

戦争法制づくりに反対する闘いは、はっきりと、戦争体制づくりが「国民に対する戦争」の準備だという評価に立って組織されなければならない。これは、イラク戦争を米国支配層による米国民に対する戦争だと喝破したマイケルムーア監督の言葉だけに頼って言うのではない。戦争は、他国に対する戦争であると同時に、しばしばそれ以上に支配層が自国民に仕掛けた戦争だということは、昔から常に言われ続けてきた真理だ。

戦争体制づくりは、言論と表現の自由、人間らしく働く権利、人間らしく暮らせる権利、差別を受けない権利等々、あらゆる民主的諸権利を激しく抑圧しない限り実現され得ない。また戦争体制づくりは、労働者民衆から激しく収奪し、搾取をし、社会保障や福祉を制限しなければ維持し得ない。そして必然的に、福祉を打ち切られて命を落とす者、「働けど、働けど‥」将来が見えない人生の暗闇の中で命を絶つ者、長時間過密労働の重圧で過労死する者等々が続出する。支配層は、庶民や労働者の命の重みなど眼中の隅にも置いていない。だから、これは戦争以外の何ものでも無い。

そればかりか、逆に、民衆の諸権利を抑圧し、労働者から激しく搾取・収奪をする目的のために、戦争体制づくりや、そしてその体制づくりを合理化する対外危機の宣伝や愛国主義の宣伝が強化される場合すらしばしばある。

だから、戦争体制づくりへの反対の最も確かで、普遍的な根拠は、それが自国民に対する戦争、究極の人権抑圧と搾取・収奪の攻撃だから許されない、という点にある。更に言えば、資本や官僚やブルジョア政治家たちによる自国か他国かを問わず労働者・民衆への攻撃、抑圧だから、戦争につながる行為は認めるわけにはいかないのだと、言わなければならない。

維新などの「対案」には、憲法学者から「合憲」だとのお墨付きが与えられ始めている。「合憲」の戦争体制づくり、「違憲」の戦争体制づくり、そのどちらもが民衆に仕掛けられた戦争だという観点から、私たちは断固として非妥協的に反対をしていかなければならない。

こうしたことを、常にそのままの言葉で主張しなければならないと言うことではないが、戦争体制づくりに反対する闘い、反戦の闘いのベースとして、踏まえておかなければならない。
(2015年7月12日)

■荒廃した精神医療――患者を虐待・死亡させた石郷岡病院を許すな!
 病者の声を聞け、病者を精神医療改革の主体とせよ


千葉市の石郷岡病院における患者暴行事件が、昨夜からTVで取り上げられている。患者を複数人の看護師が押さえつけ、頭を足蹴りにするなどの暴行を加え、そのことが原因で頸椎骨折、呼吸不全、やがて死亡に至った事件だ。

私は事件の直後、2012年の正月気分もさめやらぬ1月の初めに患者のご家族から相談を受け、TVでも紹介されている保護室のビデオも小宮清子県議とともに、つぶさに見せていただいた。ビデオは、1時間を超える長いものだった(全体では数時間)。それを見て、これは暴行以外の何ものでも無い、頸椎骨折、呼吸不全もこれ以外に原因は考えられないと受け止め、証拠保全の措置をとるようアドバイスし、弁護士をご紹介し、そしてご家族と一緒に警察にも赴いた。警察も暴行の事実を認めざるを得ず、刑事事件として受理した。

しかし、メディアが大きく取り上げ、警察の捜査が進展を見せるまで、3年以上もかかっている。何故、こんなにも長く悠長なときが流れたのか、忸怩たる思いだ。背景には、やはり病院をかばう世間の風潮、病院が保持している地域での権力的位置、警察も行政も地域の治安や保健衛生に関わる仕事の上で精神病院と持ちつ持たれつの関係の中にあること、そして何よりも精神病者に対する偏見と蔑視があるのだと言うほか無い。

そもそも、亡くなった(殺された)患者さんは、精神病院に長期入院しなければならなかった人なのか。学生の頃に陥った心の変調は、本当に精神科医らが言うような統合失調症だったのか。むしろ適当な診断、間違った診断に基づいて行われた様々な治療、処方された劇薬に等しい大量の薬によって彼は薬害性の精神病に陥らされたのではなかったのか。知ることが出来た彼の治療歴を見て、様々な疑問や疑念がわいてくるのを禁じ得なかった。

ビデオでは、看護師が患者の頭を複数回蹴っている状況が映されているが、向精神薬の副作用(ジストニア)で首が曲がったまま固まってしまっている彼の頭を蹴っ飛ばすなどいうことは、絶対にやってはいけないことだ。TVではわずかの部分しか放送されていないが、私が見た長時間のビデオには、固まった彼の首を足で無理矢理に押さえつけている光景も映されていた。こんなことをすれば、頸椎骨折になっても全くおかしくはない。結局は、頸椎骨折から呼吸不全にいたり、喉を切開して一時一命を取り留めたが、体力も衰え、亡くなってしまった。

1983年に発覚した宇都宮精神病院事件、患者を院長一族の会社で使役し、処遇に不平を言えば暴行を加え、ボーガン銃で脅し、挙げ句の果ては撲殺するなどしていたあの忌まわしい事件を記憶している方もいるかもしれない。事件発覚後究明されたのは、病院の犯罪の一部に過ぎないとも言われている。

あの時代から、日本の精神医療はどれだけ進歩したと言えるのか。石郷岡病院事件についても、徹底的な真相究明、責任追及が求められている。二度と同じ事を繰り返させないための精神医療界の改革を強く求めたい。その出発点は、患者・病者・当事者の声を聞き、彼らを精神医療改革の主体としてしっかりと位置づけていくことだ。
(2015年6月19日)

■今こそ巨万の大衆行動を巻き起こし戦争法案を廃案に!

 衆議院の憲法審査会において、与党が推薦した者も含む三名の憲法学者が、国会にかけられている戦争法案は憲法違反だとの意見を述べた。三名の学者が皆、自衛隊の存在にも集団的自衛権行使にも絶対に反対というわけではないが、しかし現憲法の下ではこの戦争法案は違憲だと明確に発言したのだ。その後も多くの法律家たちが、戦争法案は違憲であり立憲主義に反するとの声を、続々と上げる事態となっている。

 このことは、安倍政権が強行しようとする政治手法がどんなに無法で怪しげなものであるかを暴露し、そのことによって戦争法案自体が持つ著しい危険性を改めて強く浮き彫りにした。そして法律に憲法を合わせる≠セの国民を守るのは憲法学者ではなく政治家だ≠セのという閣僚や与党幹部の発言が、国民の不安と不審に更に拍車をかけている。

 こうして、当初は形勢が不利だとみられていた戦争法案反対の国民運動は、いま急速に活気づき始めている。三名の憲法学者や多くの法律家たちの発言は国民の声が背景にあったればこそのものだが、法律家たちの発言がまた国民の運動を励ましてくれている。

 しかし、この期に及んでも、戦争法案を成立させようという安倍首相と与党の意思は揺らいでいるようには見えない。国会を8月まで延長し、さらには参院が否決したとしても衆院優位の60日ルールを利用してまで、何が何でも成立させようと躍起になっている。

 戦争法案成立に向けての安倍晋三らの固い決意と、なりふり構わぬ姿と、ある種の狂気の背後には、支配層の強い危機意識がある。中国の台頭と米国の力の相対的後退の中で、国際舞台での自らの地位が大きく揺らぎ、権益の維持と拡大に困難が生じ始めている。鳴り物入りで打ち出した経済政策=アベノミクスも、異次元金融緩和による円安効果と「後は野となれ」式の公共事業大盤振る舞いに頼った仮そめのカンフル効果以上のものはもたらさず、規制緩和の横行の中で格差と貧困は更に広がろうとしている。これらの事態は、彼らの支配の正当性を疑わせ、それを急速に失わせてしまいかねず、そのことに対する支配層としての強い危機意識が、安倍晋三らをして、著しく無法で強硬な政治手法にいっそう激しく駆り立てている。

 だとするなら私たちは、憲法学者たちが活気づけてくれた国民運動をさらに発展させることに尽力しつつ、さらに現在のアジア情勢や日本経済のどん詰まり状況を安倍晋三や自公とは異なった内容と方向で解決していく展望をも模索しながら、彼らが足下にも及ばぬ固い決意と意欲を持って、この闘いに臨んでいく必要がある。アジアにおける軍拡と覇権争いには六カ国協議や東アジア共同体構想の再活性化、そして何よりもアジア諸国の労働者民衆の連帯と共同を対置しよう。矛盾を深めつつある利潤動機の経済システムに対しては、社会保障や福祉の防衛と充実、雇用ルールを労働者保護の方向で改革する闘い、働く者の側からの社会経済への規制力の強化、それを通して人々の暮らしと福祉のための連帯と協働の生産システムに向かって前進しなければならぬ必然をしっかりと対置していこう。そうした社会変革の活動と並行し、リンクさせつつ、戦争法案反対の大衆行動をさらに大きく巻き起こしていこう!
(2015年6月12日)

中国脅威論は作り話か?

今朝も日課の駅頭活動。「若者を戦場に送る戦争法案を廃案に!」「格差・貧困拡大する雇用のルール改悪許すな!」の看板を設置しての宣伝。戦争法案反対のチラシは、普段より受け取りが良い。

昨日は、私も世話人を務める九条の会・流山の主催で憲法集会。300部を用意したプログラムパンフが足らなくなるほど、予想外に多い参加者。やはり、市民は、戦争法案の提案、安倍政権の暴走に危機感を高めている。

講師の話は、おおむね有意義で、平和・護憲運動の意義やその新たな課題について、的確に語られていた。参加者の多くが、平和のための行動に向けての、新たな勇気を与えられたに違いない。

しかし、何事も、100%完璧と言うことはあり得ない。集会で参加者から様々な意義深い質問が出された。中に“中国の脅威を理由に戦争法が提案されていると思うが、どう考えれば良いか”との、実に時宜を得た質問があった。まさに、この問にどう答えられるかが、日本の平和・護憲運動に鋭く問われているのだと思う。しかし、講師の答えは、色々おっしゃってはいたが詰まるところ“アメリカや日本の情報操作”だというもの。私は主催者側ではあったが、ちょっとがっかり。

もちろん、米日支配層の情報操作や誇張・誇大宣伝、危機アジリがあるのは当然。しかし、中国の台頭が米国や日本の支配層にとって脅威となっているのはやはり現実問題。脅威の意味は、支配層と我々民衆にとって同じものでは無いが、その違いも含めてこのリアルがとらえられないのでは、平和・護憲運動は説得力が減殺される。

中国の経済力・政治外交力・軍事力の強化は事実であり、それが米日の支配層にとって自らの世界支配力、既得権益・利権を脅かすものだるからこそ、米国の力の相対的低下も相まって、日本の集団的自衛権行使への乗り出しが画策されている。私たちはこのリアル、新興大国である中国の軍拡や覇権主義の事実と、それに対抗せんとする米日の既得権益リーグのエゴ丸出しの覇権主義の両者に対して、しっかりとした明確な対抗軸を打ち出していくことが出来なければならない。

そうでなくても、平和・護憲運動の中には、“尖閣は日本の固有の領土”などという、歴史の事実も所有・領有・占有論についてのロック、カント、ヘーゲル、マルクスへと続く近代の理論的達成も無視した荒唐無稽で浅薄極まりないな議論が振りまかれている。平和運動がこうした現状では、いったん尖閣で衝突が起きてしまったら、日本の平和運動のその部分は音を立てて崩れて行かざるを得ない。“尖閣を守れ”の挙国一致の大合唱に巻き込まれ、それどころかその急先鋒さえ引き受けかねない。それは、単なる杞憂ではなく、論理的必然の事態だと、私は受け止めている。

だからこそ、私は、中国脅威論は米日の支配層の情報操作だとか、そう言いつつも他方で語られる“尖閣は日本の固有の領土だ”などという事実上の中国悪玉・日本善玉(弱腰)論にとどまっていてはダメだし、そういう議論に巻き込まれてはいけないのだと思う。

“尖閣は日本の固有の領土”論に対する私の意見は、市議会討論で述べた以下の文章で簡単に述べています。ごくごく簡略なものですが、ご参照を。↓
http://www.abeharumasa.jp/ryodo.pdf
(2015年5月18日)

日中の労働者の協同と連帯を!

私の、新たな日中連帯運動の提起に感心と賛意を示してくださった皆さん、ありがとうございます。
私は、反戦・平和運動の要は、各国、とりわけ対立・敵対している当事国の民衆の自国政府に対する闘い、そしてその相互の連帯にあると信じているのです。

中国と日本の民衆は、それぞれの政府が煽るナショナリズムに影響されて、互いを誤解し合っていますが、しかし民衆同士の利益は本当は深い部分で共通しています。また、日中両国の民衆は、次第にそれぞれの政府のナショナリズムの押しつけに倦んで来ています。このナショナリズムへの疑問の芽生えと、何よりも民衆の生活の中に存在する共通の利益に根拠を置いて、相互の連帯と協同を生み出していく必要があります。そのためには、今も普通に行われている双方の民衆の往来や文化交流から始まり、より意識的な情報・意見交換をさらに活発にし、そしてそれぞれの運動団体間の話し合いや共同の行動へと発展させていければと思います。

かつては、敵対する国の兵士同士が、「もう殺し合いは嫌だ、やめよう」と、最前線で交歓を組織することまでやってのけた、我々民衆です。私の古い知り合いの中には、中国の戦場に動員され、しかし曲折あって八路軍に参加することとなり、日本侵略軍と戦った日本人もいました。

「尖閣は日本固有の領土」などと、歴史の理解においても、所有・占有論においても、徹底的に間違った主張にとらわれている運動もあります。しかし、そうした主張を持って回っている限り、善隣友好の外交も、平和と反戦を求める運動も、いったん衝突が実際に開始しれてしまったら、完全に崩壊し、吹き飛んでしまうことは確実です。まずは衝突を起こさせないことが最重要です。が、仮に衝突が起こったとしても、しっかりと自国政府に対抗できる平和運動を構築していく必要があります。

「敵は国内にいる」を、日中双方の民衆が合い言葉にする日を夢見つつ、まずは地道に交流活動を開始ししましょう。
(2015年5月4日)

■領土・石油・価値観のための戦争はごめんだ!

本日は憲法記念日。ただいま、宣伝カーの看板を憲法記念日用に書き換える作業を終えました。取り付けは、早朝です。

本日の行動予定は、「九条の会・流山」の会員の活動として、朝9時から南柏東口にて宣伝開始、その後市内を宣伝カーでまわり、10時に南流山駅に着き、10時30分まで宣伝。その後、「戦争をさせない1000人委員会・流山」の仲間とともに横浜の臨港パークで開催される「5・3憲法集会」に参加。

最近の与党の発言を聞いていると、領土のための武力行使、石油のための海外派兵、価値観を異にする他国への軍事力での対抗等々、政策と政治思想の大股での退行に驚かざるを得ません。日本の政治家の意識は、70年・80年前まで一挙に後退しつつあるようです。この超反動に付き合わされてはたまりません。戦争する国に向かっての安倍政権の暴走に、なんとしてもストップをかける必要があります。

安倍政権のナショナリズムと軍事力信奉には、もちろん背景があります。中国の経済的・政治的・軍事的台頭、既存の秩序への挑戦、その変更の要求です。しかしこの要求に立ち向かうやり方が、ナショナリズムと軍事力・戦争体制強化だというのは、安倍政権とそれを支えている集団のもっぱらの関心、動機が、今の中国支配層のそれと同じレベル、次元にとどまっていることを示しています。しかも、既得権益者の言動は、新たな挑戦者のそれに比べて、しばしばより欺瞞的で偽善的で、悪質です。

私たちは、日中両国の支配層のナショナリズムと軍拡、その背後にある利潤、権益、支配への要求に対して、日中双方の民衆の利害を対置して闘います。日本の民衆は日本の支配層のナショナリズムと軍拡に対して、中国の民衆は中国の支配層の同様の衝動に対して、立ち向かう必要があります。そして、日中の民衆相互の、新たな次元の連帯と協同を作り出し、その力で両国の支配層のエゴイズムを牽制し、押さえつけ、アジアにおける緊張緩和と平和を作り出していく必要があります。新たな日中民衆の連帯運動よ、起これ! その萌芽はすでに芽生えている!
(2015年5月3日)

■安倍・自民党は原発震災の責任をとれ!
 脱原発・反被ばくの声をさらに大きく巻き起こそう

 東日本大震災・原発震災から4年が過ぎた。2011年3・11の大震災は、地震と津波の被害に加えて、未曾有の原発災害を発生させ、福島・東北のみならず関東・東海の一帯に深刻な放射能汚染をもたらした。原発は、安く、クリーンで、安全だというデタラメな神話を、歴代の自民党政権、官僚、電力会社や原発関連産業、その関連労組のダラ幹、御用学者・文化人・メディアなどの原発利権集団がよってたかってでっち上げ、異論を抑圧し続けてきた末の悲劇だ。

 原発震災を目の当たりにして、原発マフィアはダメージを受け、動揺したが、しかし今また彼らは日本の経済と政治への影響力を復活させつつある。安全神話は息を吹き返し、チェルノブイリ事故に匹敵すると言われる福島原発事故の深刻さは隠蔽され、福島復興の大合唱の中で被災者の声は押さえつけられ、原発労働者と東北・関東の市民に取り返しのつかない被ばくが強制されている。

 その音頭を取り、旗を打ち振っているのが、安倍首相であり、自公政権だ。彼らは、自然環境と人間社会に対して回復不可能な深刻な被害を発生させたことに、何の心の痛痒も、どんな責任も感じていず、非道にも原発の再稼働や海外輸出を図ろうとし、そればかりか新増設の必要さえほのめかしている。

 しかし、彼らの思惑どおりには事が進むはずがない。毎日の数百トンにも上る汚染水の発生は止められず、関東一円で発生した汚染物質の最終処分の方法はまったく見通しが立たず、福島の子どもたちの甲状腺がんの多発が報告され、関東の市民にも放射能被害の不安が広がり、数十年はかかると言われる事故の収束と廃炉に携わる労働者は集まらない等々、事故がもたらした巨大で深刻な被害の事実は、誰がどうあがいても、隠しようがないからだ。この明白な事実が存在する以上、彼らが試みる史上稀に見る壮大なペテンは、決して奏功することはない。

 彼らのペテンが成功する可能性は、こうした事実を隠蔽できるほどの強権を手に入れること事が前提だが、そんなことを労働者・市民は断じて許さない。安倍自民党の強権手法は、もっぱら対外緊張を煽ることで調達しているが、その緊張感自体によってすでにヒビがが生じ始めている。別の可能性は、彼らが日本の国民を、彼らと同程度に事実とモラルに対して鈍感にさせ、堕落させることで開かれるだろうが、そんな非人間化を労働者・市民は決して甘受しない。

 私たちは、原発震災が強いた苦難の経験から得た最も良質な知見をさらに研磨しつつ、試練を経て成長した市民と労働者の運動の一翼をしっかりと担いながら、復権を企図する原発マフィアによる姑息な国民分断を許さず、カネと強権と無知と粗野にしか頼ることが出来なくなっている安倍自公政治を打ち破り、必ずや脱原発の課題を達成していくだろう。
(2015年3月12日)

■日本と世界の経済社会に起きている事態の本質をつかもう!

軍事力信奉、戦争、搾取、抑圧、差別や排外主義や残虐行為が一向におさまらない。それどころか、世界はいっそう焦臭く、苛烈で、不寛容で、非理性がはびこるようになりつつあるかに見える。

安倍自民党政治も同じだ。経済政策も、社会保障政策も、まるで真剣さ無しの幼稚なボロボロ政策。威勢が良いのは、外交や軍事政策で対外的強硬姿勢を見せる時と、政敵や社会的弱者に向かって吠え立てる時だけ。国際政治がますます混沌を極めつつある中で、それに荷担し、拍車をかけるかのように、日本の政治にも非理性と無知、粗暴、粗雑がはばをきかすようになっている。

かつての自民党政治は、朝鮮戦争特需やベトナム戦争時の米国のドルばらまきなど戦争の臭いをまとい、深刻な公害を生みだし、乾いたぞうきんをさらに絞る厳しい搾取を擁護しつつも、そして金権腐敗政治にその一部を横流ししつつも、毎年前年を上回る経済的富を生み出し、その一部を労働者上層に分配して、何とか国民の支持をつなぎ止めていた。

しかし今の安倍政治は、国民にとって決して幸せだったとは言えない当時の自民党政治さえ懐かしく思えるほどに、劣化が進んでいる。使い古され、効果無しが実証済みのマネーばらまき、公共事業大盤振る舞い以外に能が無く、本命と称される第3の矢=企業の競争力強化政策も、言葉だけは勇ましいが実際は既得権益勢力との適当な妥協。やる気を見せているのはカジノの導入・振興と雇用のルールの改悪だけ。そして最初に述べた対外強攻策と政敵攻撃と弱者いじめに熱中。

こうした、国内外の状況を見ていると、社会変革を目指す私たちの努力は、報われていないかに感じられる。私たちの活動は、逆流を押しとどめ、跳ね返す効果を十分に発揮できていないかに見える。

事実そうなのであり、そしてその原因の一半は、私たちの側にもある。私たちの側における世界のとらえ方は、まだまだ表層的に過ぎるのだ。「イスラム国」現象、ウクライナの危機、世界と日本の経済の行き詰まり等々をもたらしているものを、内在的、歴史的に、全体として、その根底から明らかにするための、新しい知的努力・営為が激しく求められている。

現在の世界を理解し、把握するためには、ブルジョアの理論はもちろんとっくに破産済みだ。そして批判者陣営の理論も、物事の本質的理解には到達できていない。水野和夫氏やピケティ氏の比較的良質な仕事が、何ものの上面をなで回しているのか、その何ものかの本質と実体を更に掘り下げ、具体的に明らかにしていかなければならない。イスラム国問題の本質的な解明も、求められている。そうした仕事の前進に歩を合わせて、私たちの実践的努力は確実に成果を見せるようになって行くに違いない。

愚痴や嘆息や諦念を漏らすのは暇人に任せておこう。変革に向けての私たちの意欲を刺激してくれる事象が次々と湧いて出てきている。私たちは、これからますます多忙になるに違いない。

友人、知人の皆さん。私は、国内外の状況に最大限の注意と関心を払いつつ、当面する統一自治体選挙で成果を確実にするために頑張ります。

以下は、今配布中の、私の三つ折りリーフと、千葉県・流山市の3人の予定候補者の共同リーフ(いずれも新報号外流山版)です。
●阿部治正リーフ
 http://www.abeharumasa.jp/150212leaf-web.pdf
●3候補者共同リーフ
 http://www.abeharumasa.jp/1502shinpogogai.pdf
(2015年2月22日)